もう少しで今年も終わるのに、なかなか終われない。
病気。
誰も彼もに嫉妬して
無意味なことなのに
そんなことばかりして疲れて
新しい年を迎えてしまうのか。。。
1週間になる今は、ほぼ平常。
多分、またすぐに気が滅入る状況になりそうな予感はあるけど、
繰返して、それが普通と慣れれば滅入り具合も緩和するでしょう。
本当は最後の日をねぎらってあげたいと思ってたけど、
都合もつかないし、いろいろ状況は変化してしまったから、
無事に終えて、楽しい夜を過ごして、なんて素直に思いたいけど。。。
いつかやってくる事と何度も思っていたことだけど、
あっという間に、唐突に、そして偶然で繋がりを感じた後でやって来た。
一緒にいられた間は確かに、すっかり自分の世界だけしか見えてなくて、
現実を忘れてた。
世の中にはたくさん人が居て、その中で選ばれる人、選ばれない人が居て、
選ばれることなどない人の中に 自分は最初から居た。
その後はずっと悪いタイミングのまま、そして自分の気持ちが追い付けないままで、
遠ざかっていってる。
気にされることなのかはわからないけれど、もし悪い気にさせてしまってたら
申し訳ない気持ちはあるけれど、
いつも通りのように振舞って、近づかないことが
自分にとっては多分早く現実を受け入れる、慣れることが出来る方法。
今回もやはり哀しい現実だけど、楽しかった時間を与えて貰えたことには
感謝します。
書き留めることはしないつもりだったけど、やっぱり
いろんなことしててもまだ頭の中から消すことができず、
話す相手も居ないから、ここで吐き出す。
いつか会えなくなる時がくる。
いつか言葉も交わさない時がくる。
それが、これから先なのか、
もしかしたら、この前が最後かもしれない。
ここ最近は、望み通りというか、
運よく、付き合って貰えたので、気持ちが浮かれている。
きっと相手との温度差はかなり違うと思うけど、
やはり会うたびに、惹かれてしまう。
何を知ったというわけでもなく、
逆に知ることと、知られる事は怖いのだけれど、
普段見れない表情を少し見れただけで癒される。
別に、特別な顔であったり、態度ではないのだろうけど。
丸1日、24時間を一緒に過ごせるなんて想像もしてなかった。
酔って記憶の無い時間があるものの、
その時も、今思い返しても、夢のような気がする。
でも、夢は覚める時があって、またいつもの毎日がはじまった。
一ついい夢を見ると、また違う楽しい素敵な夢を見たい欲求が生まれるけど、
そうそうないだろうな。
いいことも、よくなかったこと(自分のことで)も含め
しっかり記憶しておきたい。
さすがに続けては嫌だろうとはおもいつつ、ダメもとで連絡した。
OKだった。
今は楽しみだけ。
周りには違いはないだろうけど、疲れた顔が明日までに癒えてますように。
余計なこと言ったり、聞いたりしないようにしないと。
一つ叶えば、また次へ。
会えたら、また次会いたいし、
1時間だけなら、次はもう少し長く。
一つ変わりない事がある。
さよならと別れると、後ろ姿しか見たことがない。
翌日からとか書いてはいたけど、
その時点から哀しさは始まってた。
この夏、少しだけかもしれないけれど
落ちつけたと思ったのに、
秋になって心も乾燥しているから、
また火がついて燃えだしている。
いくら燃えても、取り囲むことも無く
無駄にエネルギーを消費している。
声が聴きたい。
久しぶりに会えて嬉しかったから、続けて会ってもらったけど、
どんな気持ちでいたのかが、あとで不安になってくる。
もっといろいろ知りたい気持ちもあるけど、そうすれば
知りたくない事も知ることになる。
占いは、きっと余程の事がなければ、期待につながる何かを残す。
そこに希をもって、夢をみる。
妄想は自由なのに、あまり深く、先のことが想像できない。
例えば、気持ちが通じたとして、その後どうなるのかなんて。
どうしたいのか、どうありたいのか、具体的に考えると
導きだされることが、多分現実的でないから想像できないのかも。
魅力が何かと、本人に問いかけた。
返って来た答えは、ある程度的を射ていて納得できた。
何年後、もっと早く何か月後、もう既に居るのかも知れないけど
その魅力で魅了し、また魅了される魅力を持った人と出会う
そんな時がいつかは来る。
素直な気持ちで見守れる自信は今はない。
何度聞いても、何度確認したところで、差が縮まるわけではない。
繰返し聞いてるのだから、もう少し、いやもっと現実を認識しないといけないのに、
どうしても同じ時間を過ごしていると、片隅にはその事実を認識しつつも、
同じ土俵にいるかのようにはしゃいでしまう。
さて、反省。
ついに口にして伝えてしまった。
以前自分が嫌に思った言葉を。
記憶になんて残ってないだろうに、今更蒸し返してしまい、
余計な気遣いさせることになった。まぁ、それもすぐに忘れてくれるだろうとは思うけど
お酒も飲んでたし。
今朝、自分ももう一度聞き直せば、そんなに悪い言い方はされていなかったけど、
今思えばその単語だけに、敏感に反応し過ぎてしまってたと思う。
もう一つ、触れ過ぎた。
最初の一回目は、多分確認して触る許可は貰ってたと思うけど、
その後、何回か繰り返し触れたのには、許可貰ってなかったと思う。
何も言わなかったけど、朝振り返って思い出すと、
以前、自分と同じ世界の人から嫌な思いすることがあったと言ってたから、
その時の気持ちを呼び起こしてしまったのじゃないかと思った。
ここ数回、話の流れもあるし、多分気を遣ってサービス精神から
触れさせてくれる事があったけど、
自分が逆の立場になった時を想像すれば、いい年した人に
触れられるなんて相当気持ちは良いものではないと思う。
あの年ごろであれば、自分だったら減るものではないけれど
汚された気になってたと思う。そういう考え方してたのに、
時を経て、逆の立場に立ってる今の自分が、昔嫌だった事を人に繰り返してるのは
本当、良くないと、反省。
あと一つ、これは自分が現実になってほしくないから、
深読みしないようにしている、理解しないようにしているのだれけど、
「縁を切る」というワードがでたのを、どのようにとらえるべきか。
とっさに、取り繕ってしまったけど、
枷と思ってるものを返してししまえば、関わりなんて
無くしたいのがやはり本心なのかな。。。
遠くで見守る力が持てれば、何が起きても、
何が訪れても、当たり障りのない存在になれるのかも知れない。
楽しかった時間はあっという間に過ぎて、いつもの日常に戻った。
振り返っても、何も変わらないけど、記録として残す。
誘った日、自分の想定した状況ではない事を、事前に話しているのを知らずに誘った。
それを約束決まった後に知って、どうなるのか少し心配になった。
当日、無事に会う事はできた。
待ち合わせ場所で会う時、どんな目をされるか気にしてた。
久しぶりではあるけれど、少しは慣れてくれたのか、今までで一番最初から優しい感じがした。
今回は、聞き役になりたいと思ってたけど、結局自分もよく話した。
遅くまで付き合って貰えたけど、そのお返しは今回大してできなかったけど
納得してもらえたのか。
翌朝の仕事に影響しなかったか心配した。
影響していたら、自分に責任はある。
明日、もし何も無ければ、きっと何かあっただろう。
少しはまた静かにして、様子をみることにする。
元気でいてくれれば、また楽しい時間をそれぞれ過ごせていたら
今まで通り、それでいいのかも。
とても癒されるのに、過ぎれば不安へと変わるのは淋しい。
鏡を見れば、皺やたるみ、白髪、老いてることに気づく。
内面は、それに伴っているかというと、そうでもない。
客観的に自分を見れていないから、思い返せば痛恥ずかしいことやってしまうのだろう。
他人の目は関係ない、との考え方もあるだろうけど、
ひとりでの行動では気にならないけど、誰かを巻き込む、相手にしての
行動ではそうもいかない気がする。
1年経過して、なんとか落ち着こうとさせているけど、
まだまだ抜け出せないままでいる。
やりたい事、全てやってしまえばいい、やれればいいけど
多分バランスがあると思う。
何か希望の事ができたら、一つは我慢(すぐにはできなくても、という意味で)
そのくらいがちょうどいいのかと、言い聞かせ。
言い方はいろいろあるのだろうけど、端的に人付き合いが苦手。
人が嫌いというわけではなく、素直なままで接することができないので、
自分に疲れてしまうから。
何が素直なのか、正直もう自分でもわからないけど。
人前で、人並みに良い人と思われるような振舞いをするのも、
染みついてて、自然と同じことを繰り返してるから、それはもう素なのかも知れないし。
でも、それが本当の自分かというと、そうとは言えない。
休日、一歩も家を出ないで過ごしている時、誰とも口をきいていない時の姿が
多分真に近いのかも。
客観的にみて、好かれる人間性ではないと思う。
人を好きになることに、年齢は関係ない、のかも知れないけど、
それはお互いが惹かれあえば問題の無い話で、
そうでなければ、どちらか(大概は若い方)にとって恐怖な状況になっていると思う。
これは、ふと冷静に、客観的になって状況を整理すると自分でもよくわかる。
ただ、一緒に居たり、話をしていたりする時、実の年齢を忘れ、まるで同じ立場のように錯覚して過ごしてしまい、 夢を見てしまうのである。
関心のない方にとっては、そんなことは想定していないだろうから、察した時は複雑、いや単純に怖いだろう。
まさか、自分がこんな風になるとは、若い時には想像してなかった。
同年から年上がずっと好きだったので、年下なんてと思っていたけど、
あっという間に 変わってしまった。
まあ、別に若さだけで惹かれるわけではないけれども。
確固たる魅力を持てないまま、老い朽ちていくだけとなっては、
これからまだまだ艶よく、張りよく、成長するものに憧れてしまうのかも知れない。
でも、そんな人が、老い朽ちるものに惹かれるわけがない、物好きでなければ。。。
と、そんな事を改めて気付くと、哀しさの恐怖しか感じない。
雨は時々降っているけど、久しぶりに熱い太陽が顔を見せて、今日は明るい。
予想外のタイミングでくれたメッセージ。
ぎこちない言葉での残暑見舞いと、画像。
何かあったのかと怖さと不安がよぎる。。。
でも、元気とのことで良かった。
既に、揺らいで崩れてるけれど、
追い込みかけるように、いたずらに予想外のギフトを貰うと
また気持ちが向かってしまう。
昨夜も、今朝もちょうど向かってた時だったので、。。。
今、もう一度、考え直してみて、もう過ぎた時間だけど
今日の出来事は素直に喜ぶことにする。
空想、妄想の中なのに、なんでいつも嫌な感情で終わりを迎えるのか。。。
嫌な思いをしなければ、断ち切れないというのが一番の理由なのかも。
好きなものを断つ、は好きだからこそ難しい。当たり前か。
自然と、スッと、抜けられたら、いい思い出だけが残るのに。
そう、はじまりの時のように、自然と、スッと心掴まれたように、
リリースも同じように自然と、スッとがいいのに。 本当。
永遠ではなく、一瞬にして弾けて消えた。
久しぶりに聞けた声、見た顔、それだけで終わってれば、まだ壊れずにきれいなイメージ、空想を想い続けてただろう。
たった一言が、悲しくて、残念で。
いろいろとまた都合よく、その言葉を消すための理由を考えたりもしたけど、そんなことは無駄なのもわかってて。
消化しきれないので、とりあえず記録して残す。
調べたら、「嗅盲」という言葉があるそうで。
…ある特定のにおいだけを感じないこと。また、その人。…
今日は暑かった。梅雨が明けたそうだ。
そのせいなのか、いつもなのかは知らないけれど、たまたま汗臭い同僚がいて、
話をしているのが少し辛かった。仕方のない事ではあるのだけれど。
そこで、ちょっと思ったのは、これが好きな人の臭いなら、匂いとして感じる、いや思い込めるんだろうなってこと。
関心のない人の臭いは、ただの臭い。そんなものだろうなって思った。
もう、思い出だけしかないので、忘れきるまえに少し書き留めて残しておく。
電車のドアに映る姿、隣に座ってうたたねした姿、
もう一度あるのか、ないのか…、無いな。
本当にありがたい事だった。
朝、走りながら思い浮かんでた言葉、「ありが貴い」
梅雨ももうじき明けそうな感じ。
空は晴れ渡る日が続くかもしれないけれど、その時、自分も同じ気持ちで居れるといいけど。
1日、1日と過ぎてゆき、楽しかった思い出も遠くなり、顔も、声も遠くなりそうで、
そのまま遠くに行って、消えてしまえば楽なんだろうけど
また思い出すために、携帯の中の彼を見る。
変ってる、変ってるだろう。異常な程に。
死ぬまで、動けなくなるまで、この生き方が続くのだろう。
生きていく上ではお陰様で人並の生活はできたけど、人間関係は上手くいかなかった。
どこで拗らせてしまったのだろうか。
拗れたのか、元々そのオプションに関しては与えられていない人生だったのか。
それなら、「好き」という気持ちがなければよかったのに。
ま、それはきっとよりつまらない人生になってしまったろうけど。
戻りはしない時間だけど、過ぎてその貴重さ、大切さを改めて知る。
10年あったのに。
煩わせてしまったけど、昨日が最後でやめます。
一応悩んだ挙句で、そして勝手な都合の良い思い込みでまた行動してしまったけど、
やはりよくよく考えれば、迷惑で、面倒で、答えようもなかったと自分でも思う。
今回までは気を遣って貰えたけれど。
今までも、人付き合いが増えた時に時々感じることがまた始まった。
最初の内は、珍しいと感じて貰えるのかも知れないけれど、
その内、同じことの繰り返しか、度が過ぎるのか気に障ってしまうのだろう。
居たいところにいられない。
居づらくなって、新しいところへ移っていく繰返し。
蝶々のように、きれいな花々を渡っていくのとは、程遠い。
すこし、すっきりした。
天気予報は、当初より変わって、週末も週開けてもすぐには雨は降らず、むしろいい天気だった。
約束は果たされ、自分にとっては楽しい時間を過ごすことができた。
今回は、偶然だけれど隣に座って過ごす時間が多かった。そのおかげなのか、今までより近くに見ることができて、(でもほとんどは恥ずかしいからよく見れていなかった気がするけど)今までより幾分打ち解けた感じがあってよかった。
最後だと思って結構自分の希望を通してしまったから、面倒くさいと思われたかもしれないけど、それでも、その時は許してやりたい事させて貰えたので、改めて優しいなって思った。
電車のドア窓に映る姿を見て、背の高さを改めて知る。
隣に座って、少しの時間だけ寝落ちしている姿を見ることができた、そんな些細なことがとても心を充実させてくれた。
これからしばらくは、今まで以上にまた知らない時間が増えていくのだけれど、今回の約6時間はとても貴重で、思い出深い日となったと思う。
元気でいて、幸せに過ごしてると知らせがまたいつか届いてくるといいなと思う。
ありがとう、元気でね。
世の中には似た人がいるとのことだけど、似ているだけで同じではない。
素敵な人はたくさんいるけど、心は誰にでも傾くものではない。
一人ひとり違う中で、何か惹かれるものが(お互いかは別だけど)繋がって、
気になる存在となるんだなって思う。
ようやく、梅雨っぽくなったような。いや、台風が発生してるってもう夏の天気なのか?
週明け、できれば週末も雨は程ほどであってほしい。
もし、涙流すようなことが起きるなら、その時は存分に降ってもらってもいいけれど、
それまでは、約束が叶えられるように、優しい天気でいてほしい。
いい思い出は、そのままにしておくのがいい。って、迂闊な行動をした後で思った。ずっと使ってないSNS、何年も前に繋がったけど、その時はそのままで、特にメッセージや近況を聞くこともなかった。
今日、誕生日。片思いながら6年ずっと好きだった人。今日のこの日が誕生日というのは記憶にあったが、いままで何もせずにいたけれど、今日はなんとなくお祝いのメッセージを書いてみた。もう子供が立派な大人となるほど会ってもいない間なので、当たり障りのない言葉だけれど、送れて少しうれしかった。そして、その返信が来たことも嬉しかった。
でも、昔のいい思い出の中のイメージで、今のやり取りを読み取ろうとするのには、無理はある。
ま、でも元気にいるならそれは良かった。
知らないところで、知らない事が起きて、そうして1日が過ぎて、また新しい1日を迎える。
自分も、やるべきことや、やりたいこと、何もしないで1日を過ごして、ふとした時に何をしてるのかなって想い、ただ知るすべはないので、多分元気でいるんだろうと思って眠る。
元気で、苦しい事や辛い事が少ない日々過ごしててくれたらいいこと。
姓名判断、本当に当たっているのか、それは結果で判断するしかないけれど、
調べてみて出てきた内容と、現状の自分が知りうる状況、印象からすると当たってるなと思った。
まさにそれを知った日に、いい加減な事をしてると知ると、呆れるというか、仕方のない事なんだなって思った。
盲目になっている最中は、嫌だとか、良くないなと思える事が見えてても見ない振りをしてた。そして、たまたまで普段はちゃんと出来る人なんだと思い込みして、美化してた。
でも、そんな良く出来た人間性だったら、もう少しいい状況になってただろう。
なんだか覚めて気付く、無駄な時間、思考をしてたな...。
ようやく納得できた。言葉は選んで、全てではないかも知れないけど、考えてる事を聞けて、こちらも気になっていた部分は本人も十分自覚していることも分かった。ただ、口にした先から、同じこと繰り返してるから、改善しようという気はないのかも。。。
ま、自分もダイエットするにはかなり腰が上がるまで時間掛かったし、その間の時間を無駄にしたと後悔しても取り戻せないというのは自分でしかわからないのだから、なるべく後悔はしてほしくないけど本人次第だから仕方ない。
この半年くらい、少しでも何かしらの役に立てたらという気持ちがあったけど、自分のしたことは何も役に立たなかったと思った。逆に良い方向へ進む邪魔をしてしまったのかも。そして、相手のどの領域にも存在できる人にはなれない事を理解できた。
嫌いになるわけでもないけど、ちょうどいいタイミングでようやく固執してた気持ちが解放されそう。